『禁煙セラピー』の著者アレン・カーとは?死因が肺がんの理由

禁煙知識

『禁煙セラピー』(原題「The Easy Way to Stop Smoking」)の著者アレン・カーは、「禁煙」の分野では、おそらく世界的にもっとも有名な人なのではないでしょうか

アレン・カーは『禁煙セラピー』の著者として有名ですが、それに書かれているのと同じ禁煙メソッドに基づいた禁煙クリニックの創始者でもあります。

彼はいったいどのような経緯で『禁煙セラピー』を書き、禁煙クリニックを作ったか?

そして禁煙の分野の第一人者であるアレン・カーの死因が「肺がん」だったという衝撃の事実について、どのように考えるべきなのか?

こうしたことをまとめました。

注意 『禁煙セラピー』は「読むだけで禁煙できる」を謳った禁煙本です。

実際にこれで成功している人もかなり多いそうですが、禁煙に失敗した場合には二度目に読んでも効果がないとも言われています。

この記事はある程度本の内容のネタバレになりますので、これから『禁煙セラピー』を禁煙に活用しようという人は、この記事を読まずに『禁煙セラピー』を買い求めた方がいいかもしれません。

アレン・カーについて

アレン・カーは1934年9月2日生まれのイギリス人です

幼少期

まず彼はどのような幼少期を過ごしていたのでしょうか?

アレン・カーに関して調べられる情報はほとんどが禁煙絡みで、それと無関係な事柄、例えば幼少期のことなどについてはほぼ何も分からないというのが正直なところです。

しかし著書『禁煙セラピー』の中では、自身の幼少期について、5歳の時に始まった第二次大戦のドイツ軍の空襲で両親とはぐれてしまい、2年間別の家族に引き取られて冷たい仕打ちを受けた、と書いている箇所があります。(戦時中の日本の「疎開」を思わせるエピソードですね)

アレン・カーはそれでも、「この経験が私の人生に傷を残したとは思わない」「かえって私を強い人間にしてくれた」としています。

タバコをやめられず苦しむ

職業については、彼が禁煙に成功し、禁煙コンサルタントとしてクリニックを始める前は、会計士をしていたそうです。

さて、もうさっそく禁煙・タバコに関する話になりますが、アレンは18歳の時から始めたタバコを辞められずに長い間悩んでいました。

ちなみにイギリスでは喫煙は18歳から合法で、しかも18歳からの喫煙許可は2007年10月の法改正によるらしいので、アレン・カーが吸い始めた時代には16歳で合法みたいです。(この事実も日本人の我々からすれば驚きですよね)

そしてアレン・カーは相当なヘヴィースモーカーで、45章構成の『禁煙セラピー』の第1章目はそのままズバリ、「私は世界一のニコチン中毒患者だった」

それによると喫煙者だった頃には、多い日で100本少ない日でも60本は吸っていたといいます。

6か月の禁煙にも挫折して号泣

アレン・カーの妻は一番近くで夫を見ていただけに、彼がどれほどタバコに依存しているかをよく理解しており、アレンの母親に「タバコをやめなければ離婚すると言ってみれば?」と言われると、「そんなことを言えば彼の方から離婚を求めてきますわ」と答えたと言います。

健康状態についても「常に頭痛と咳に悩まされて、額を流れる血管がどくどくと脈打つのを感じ、いつ脳いっ血で死んでもおかしくないと感じて」いたと書いていますから、相当なものです。

当然、何度も禁煙を試みては挫折しており、失敗した禁煙のエピソードもかなりパンチが効いています。

アレンは(最後の死ぬまで継続した禁煙を除けば)もっとも長く続いた6か月の禁煙が失敗した時には「これで一生タバコを吸い続けることになる」と、絶望のあまり「赤ん坊のように」泣いてしまったといいます

禁煙に成功して禁煙コンサルタントに

それほど禁煙に苦労したアレンですが、苦しむ夫を見かねた奥さんが催眠療法に申し込んでこれを受けるとあっさりと禁煙に成功してしまいます。

この時、アレン・カーの喫煙歴は33年、年齢は既に48歳になっていました。

しかもアレン・カーはこれほど禁煙に成功するまでに苦しんだにも関わらず、最後の一本をもみ消した時、「世界中の喫煙者にタバコを辞めさせてみせる」と意気軒昂と宣言したといいますから、隣で見ていた奥さんはさぞかし面食らったことでしょう。

彼はまず、なぜこんなに簡単に禁煙できたか不思議に思い、催眠術や禁煙に関する色々な本を読み漁って調べましたが、すぐには納得のいく答えを見出せませんでした。

しかし、おそらくそれを調べながら自分のメソッドを確立し、「世界中の喫煙者にタバコを辞めさせてみせる」という野望の実践(禁煙クリニックの創始)へと繋がっていったのだと思います。

アレンはついに禁煙のコツについて、「禁煙を望む」のではなく、禁煙が容易であること・禁煙で失うものなど何もないということ・「一本だけ」というのが全てを台無しにすること、といった幾つかの点をしっかり「認識すること」によって達成されると考えるに至りました。

『禁煙セラピー』を書いた理由と禁煙クリニックの成功

こうしてアレン・カーは自宅の一室でセラピーをスタート、禁煙クリニックを本格的に開業して禁煙コンサルタントになりました。

ある時、重度のニコチン中毒の患者の男性と話している時、相手がとても動揺しており、落ち着かせようと焦る内に二人とも泣き出してしまうという事態がありました(たぶんこの患者さんのエピソードは、『禁煙セラピー』の中でもっとも痛ましいものです)。

そこでアレン・カーは「落ち着いた精神状態の時にじっくり理解できるように」と思い、自分の禁煙療法についてまとめた一冊の本を1985年、出版します。

これが有名な『禁煙セラピー(原題「Easyway to stop smoking」)』です。

『禁煙セラピー』は世界38ヶ国語以上の言語に翻訳され、1500万部という異常な大ヒット、ベストセラーを記録、日本国内でも約300万部を売り上げています。

試しに私の手元のKKロングセラーズ発行の『禁煙セラピー』の刷数を確認すると、「平成19年11月10日215版発行」とあまり見たことのない数字が書かれています。

同時に禁煙クリニックも大成功を収め、今では世界50か国以上に展開しています。つまりアレン・カーは禁煙啓蒙家としてでなく、いわばビジネスの事業主としても大きな成功を収めた人と言っていいかもしれません。

禁煙クリニックの仕事が死因の肺がんと関係している可能性も

彼は2006年に肺がんと診断され、同年11月29日に72歳で死去しています(イギリス人なのに「スペイン・マラガにある自宅」で息を引き取ったらしいというので不思議ですが、好きだった土地に移り住んだのでしょうか)。

2006年時のイギリスの平均寿命は79,25歳なので、普通の人よりも少し早くに、肺がんが原因で亡くなってしまったということになります。

このことは一見滑稽にも悲壮にも見えます。「せっかくタバコを辞めたのに、結局は肺がんで死んでるじゃないか」というわけです。

しかし禁煙セラピーの公式サイトは、アレン・カーの死去時にこのような発表をしたようです。

彼(アレン・カー)は長年ロンドンのクリニックでタバコを吸いながら受けられる禁煙セラピーを行っており、このことが原因で病気になった可能性が考えられます。生前のアレンはこのことについて、このように語っておりました。

「控えめにみても、私は少なくとも1000万人の喫煙者を治療したということだ。それなら、たとえ私がそのために肺がんになったとしても納得ができる」と。

つまり肺がんの原因は「1000万人分の副流煙」だったということです。

もちろん、厳密にアレン・カーの死因を特定するのは困難なことですし、「禁煙セラピー」にしてみれば、創始者アレン・カーの死因が肺がんであることによってケチがつくのは「商売あがったり」になります。

そこであわてて火消に走ったと意地悪い見方をすることもできるでしょう。
しかしそれを考慮に入れても、やはり説得力のある主張ではないでしょうか。

「読み終わるまで禁煙しないでください」という『禁煙セラピー』の書籍内容を考えれば、ロンドンのクリニックがどのような形でセラピーを行っていたか、何となく想像がつきます。

彼はロンドンの禁煙クリニックで、患者の吸うタバコでもうもうと紫煙の立ち込める中で、こんこんと「禁煙しても何も失わない」「喫煙には何のメリットもない」といった説き続けてきたわけです。

仮に「1000万人」というのがオーバーにしても、基本はグループセラピーですから複数の参加者の煙を吸い込むわけで、それをクリニック開始以来続けてきたとなれば、クリニック患者の副流煙で肺がんになった可能性は否定できません。

そう考えれば、死因が肺がんであったことに何の不思議もないでしょう。

アレン・カーはこれについて肺がんの原因は特定できないと認めた上で、「たばこをやめていなければ20年前に死んでいた」と語り、クリニックでの治療によって病気になったとしても「多くの喫煙者の助けになることなら、それは支払う価値のある代価」と述べたと言います。

死の直前にアレン・カーは、「23年前、最後のタバコを吸い終えて以来、私は世界一の幸せ者だった。そして今でもその思いは変わらない」と述べてこの世を去りました。

『禁煙セラピー』の著者アレン・カーまとめ

いかがだったでしょうか。

半年間の禁煙に失敗して泣き崩れたというエピソードまで持ちながら、最後の一本をもみ消した直後に「世界中の喫煙者にタバコを辞めさせてみせる」と宣言したアレン・カー。

禁煙を啓蒙することに熱意を注ぎ、最後には肺がんで死去したということも含めて、まるで禁煙啓蒙のために生きて死んだような生涯ですね。

そう考えると、アレン・カーが最初の一本のタバコを吸って中毒になったこと自体が、禁煙活動に生涯を捧げるためであったかのように感じられるから不思議です。

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